埼玉県久喜市|武蔵国 鷲宮神社

鷲宮神社
2015年3月7日、埼玉県久喜市鷲宮1丁目に鎮座される神社、「鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)」に参詣しました。この神社は関東最古の大社、そしてお酉様の本社ということで、商売繁昌・出世金運・厄難消除・交通安全・家内安全・縁結び・病気平などのご利益のある神社として多くの人の崇敬を集めています。

鷲宮神社

鷲宮神社
東武伊勢崎線(スカイツリーライン)に乗って郊外へ。「鷲宮」駅から閑静な住宅街を通り徒歩6,7分も歩くと、こんもりとした森が見えて来ます。

鷲宮神社

鷲宮神社
神社近くには宮前橋。この先に神社の駐車場があり、入り口の大鳥居が見えて来ます。

鷲宮神社
訪れた日がちょうど小雨のぱらつく曇天でどこか重々しく、また鳥居の注連縄も相まって、神聖な空間という雰囲気に満ちあふれています。そして本殿までの参道が長く続きます。

鷲宮神社

鷲宮神社
案内板には「当社は出雲族の草創に係わる関東最古の大社として・・・」の文字が。由緒正しい歴史ある神社だということが見て取れます。公式ガイドによると「神社境内と周辺地区は上代人の住居跡地であり、縄文・弥生・古墳時代の複合遺跡と称され。約3000年前の曲玉や土器が多種にわたり出土している」とあります。神社というのは古代の街の祭祀場の名残なのでしょうか。太古から続く特別な場所なのかも知れませんね。

鷲宮神社

鷲宮神社
社伝によると、神代の昔、天穂日命(あめのほひのみこと)が東国を経営するために武蔵国に到着し、お供の出雲族27人の部族と地元の部族が当地の鎮守として大己貴命(おおなむちのみこと)を祀ったのに始まると伝えています。その後、日本武尊(やまとたけるのみこと)の東国平定の際、別宮を建てて天穂日命と御子神の武夷鳥命(たけひなとりのみこと)を祀ったといいます。日本武尊の白鳥伝説と武夷鳥命のお名前から「お酉様の本社」へとつながっていくのでしょうか。本殿のまわりは空間が広がっており廻ることができます。年末の大酉祭のときには大賑わいになるのでしょうね。

鷲宮神社
力石と立て札がありますが、実はこれがわからなかった。聞けばよかった。重軽石のように、自分で持ち上げてみて思ったより軽く感じれば願いが叶う、といった類いのものなのか。でも地面に置いてあるのでそんな感じでもないし。ちょっと謎です。

鷲宮神社

鷲宮神社
拝殿向かい側の神楽殿で奉演される「鷲宮催馬楽神楽」(正式名称:土師一流催馬楽神楽)は国指定の重要無形民俗文化財で、関東神楽の源流とされているそうです。古くこの一帯は「土師部」(ハジベ:素焼きの土器などを作る人々)の居住地で、この「ハジ」が「ワシ」に転じ、鷲宮になったのだとか。その転じ方に「日本武尊〜とり〜鷲」もファクターとして関わっているかも知れません。

鷲宮神社

鷲宮神社
神社内に奉納されている『千貫神輿』を担ぎ、練り歩く「土師祭」(9月第1日曜)が行われるそうです。

鷲宮神社

鷲宮神社
鷲宮神社の境内には八坂神社や諏訪神社など、御三神以外の神様をお祀りする社がたくさんあります。

鷲宮神社

鷲宮神社
武御名方神(たけみなかたのかみ)、伊邪那美神(いざなみのかみ)、大山祇神(おほやまづみのかみ)、宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)、大山咋神(おほやまぐひのかみ)、天照皇大神(あまてらすおほみかみ)、迦具土神(かぐつちのかみ)、素鳴戔尊(すさのおのみこと)、菅原道真(すがわらのみちざね)の九柱の神様が祀られています。

鷲宮神社

鷲宮神社
公式ガイドによると、「桓武天皇の御世には、征夷大将軍坂上田村麿が、武運長久を祈り奥州鷲の巣に当社の御分社を奉祀した。中世以降には、関東の総社また関東鎮護の神として、武将の尊崇が厚く、歴史上有利な武将だけでも藤原秀郷・源義家・源頼朝・源義経・北条時頼・北条貞時・新田義貞・小山義政・足利氏歴代・古河公方・関東管領上杉氏歴代・武田信玄・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康等があげられ、武運長久等を祈る幣帛の奉納や神領の寄進、社殿の造営等がなされた」とあります。写真は「八幡太郎・源義家」が自分の馬をつないだとされる桜の木です。見たところかなりの古木でしたので本物かな。

鷲宮神社

鷲宮神社
お酉様の本社ということで鳳凰?が奉安されていました。寒くて元気がなさそう。関係ないけれど神社に居着いている感じの猫も。こちらの方が主っぽいかも。

鷲宮神社
帰りには例のごとく御朱印をいただきました。